武道館のパフォーマンスみて思ったことを、妄想ブログします
テーマは「edgeの体育座り」ですw
edgeの体育座り、
あれは表現者でありながら自身を常に客観視している(=メタ視点を備えている)という
Perfumeが持つ、アイドルとしての特異性を直接的に表現した演出だと思う。
3人は客席に背を向け、表現そのものを放棄する(ようにみせる)。
この時点でステージ上に「Perfume」は存在しなくなる。
逆に言えばこのとき武道館には観客(Perfumeも含む)しか存在しない。
そしてスクリーンに投影される巨大なPerfumeの映像(シクシク冒頭のマネキンと同じ役割)が
独りでに発信している表現=記号を、3人は観客と共に傍観する。
気付けば僕らは、何が真実で、何が虚構かを見失っている。
「Perfumeの掟」を見たことのある方なら、共感してもらえるかもしれないですが
恐らくMIKIKOさんはPerfumeが偶然持ってしまった、
「リアル」と「フェイク」に対して最も興味と魅力を感じているのではないでしょうか
そしてその両側を、一曲の中で「振り付け」という方法を駆使して行き来させている。
どこまでが真実で、どこまでが虚構か、
誰が表現者で、誰が観客か、
イマジナリーライン(想定線)を無視し、観る側の混乱を誘うことで、本質を浮き彫りにする。
edgeの体育座りに僕は、M・デュシャンの《泉》のような挑発性を感じるのです
※ここは全然笑うところではありません(笑)
そして何より興味深いのは、それらをPerfume自身がどこまで考えて踊っているのか?
というところです。

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