ですので、それはそれでいつかまとめて書けたらなと・・・
とりあえず思ったのは
「音制連=悪者」 「マッシュアッパー・MAD作家=被害者」っていう安易な構図で見るのは
凄く危険だということ。
勘違いしちゃいけない。俺たちは被害者なんかじゃない。
違法なことをしてるのに削除程度で済んでる、って時点で
「まだ助かってる」くらいに思ってます。
相手さんによっては2~3人見せしめにパクられてもなんら不思議じゃないから。
まぁ話すと長くなりそうなんでこの辺で・・・
で、突然ですが下の画像。
雑誌「STUDIO VOICE 2006年10月号」です。
古いっすね
コンベスの初回盤がじわじわ売れ出してた頃ですかね?
どうなつで言うところの「それが杞憂だと言う事を証明し始めた」ころですかね?
見出しはこうです。
「YouTube バイラル時代の可能性 テクノポップアイドルは口コミでどこまでいけるのか?」

まぁあんまり詳しく話しても野暮なんで、興味ある方はバックナンバー漁って読んでみてもいいかも。
まるで予言の書ですよ
当時ほぼ無名に近いアイドルについて丸々1P使って紹介してる時点でスタボさんやばいっす
「大人のテクノ遊びを、純粋無垢な女の子が完璧なまでに演じている」っていう解説も
実に本質を捉えてると思う。
繰り返しますが2006年の記事です。
で、この紙面から2箇所引用します。
今回の件は肖像権が争点みたいなので、若干ずれますが
大きい意味でネット動画というものについて、です。
まず
「大量に溢れる情報の中で、どんなカタチであれ作品が人目に触れることは大事なことである。
全てのビジネスが巨大化し、資本力が全てを決定付ける時代。
そこをすり抜けるために必要であれば、
事務所側もウェブ上での少々の事は目を瞑る覚悟をしておいた方がいい」
ものすごい言い切りです。
ただ別に僕がコレと同じ事を思っているわけではありません。
今回の一件でこの記事を思い出した・・・というだけの話です。
Perfumeのブレイクに口コミとネット動画がどこまで影響を与えたか?っていうことは
誰にも分からないし。
書きたかったのはそれを受けてのこの一節
「そして、Perfumeに限らず自分がハマった物に対しては、CDなり商品なりを買うべきだと思う。
それこそがクリエイティブに対する最大のリスペクトなのだ。
そのループこそ、資本力に頼らない新しい創造の可能性なのではないだろうか?」
2006年当時、いまいちわからなかった最後の1行の意味が、
2009年の自分には、本当に良くわかる。
少なくとも自分は、いち音楽ファンとして「そのループ」を信じている。
そしてその先にある「新しい創造の可能性」にいつまでもわくわくしていたいと思う。
クリエイティブが資本主義とは別の軸上で回転しているネット動画の世界。
そこに集まる人たちこそ、実はそのループとその先にある創造の可能性を
最も信じている人たちなのかもしれない。
好きなアーティストを人に勧める。
気に入った人がそのCDを買う。
それによってそのアーティストが、また新しい作品を作る。
そんな素朴で、でも確かなクリエイティブのサイクル。
本当は、アーティストもレコード会社もファンも
根本では同じことを願っているはずなんだと思う。
共有点を見つけ出すヒントは恐らくそこにしかない。
自己矛盾を山のように抱えながらも、
今夜もまた、未だ見ぬ動画を探す旅に出るのです。
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