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TRUE ENDにするために

Perfume初のドームツアー「Perfume 4th Tour in DOME『LEVEL3』supported by チョコラBB」。その満員のドーム会場で繰り広げられたのは、不思議なループ構造を持った極めて完成度の高い物語世界だった。

そしてそこで描かれたのは、あらゆる夢物語を実現し、時代の中心を走り続けることで辿り着いた、Perfume自身のアイデンティティの変化そのものだった。

どういうことか?まず補助線を引こう。
私の考えでは今回のライブは、明確に2部構成として組まれていた。そしてその分断線はインターミッション「Sleeping Beauty」で、3人が自ら“殻”を破った時点で引かれる。

冒頭、SoLのPVで使われた透明な球体に閉じ込められていた3人が「Sleeping Beauty」中盤でその球体を破壊し外へと飛び出す。この"殻"は明らかに、夢の世界と外の世界との「境界」のメタファーだ。物語のスイッチはここにある。

言うまでもなく「Sleeping Beauty」とは、童話『眠れる森の美女』の英題である。そのストーリーから転じて、ある辞書では「まだ手をつけていない将来の接収目的物」という意味を付されている。つまりこの曲のタイトル自体が「新たな何かを手に入れるために、夢から覚める」というライブ演出上のスイッチそのものを表しているのだ。

ではその「新たな何か」とは何か? 一言で言えば「自分以外の誰かの力」だ。そしてそれはこのライブ空間において「オーディエンスの力」に当てはめられている。

3Dスキャンされた夥しい数のオーディエンスの身体データを素材としたインターミッション時の映像や、その中から一人をピックアップしスポットライトを浴びせてみせる演出。それらは全てParty Makerに繋がり、スクリーンに繰り返し客席を映し出す事によってさらに挑発が続けられる。

執拗なまでに観客の存在を強調するこれらの演出によって、3人と演出家MIKIKOは、「Party Maker」とはアーティスト本人の事ではなくオーディエンスを指している事を打ち明け、その意味を説得する。

そこからは怒濤だ。
ファンとアーティストの新しい関係性をテクノロジーによって提示してみせた「Spending all my time」をはじめ、緩急自在の様々な演出を駆使して一気に距離を縮め、一体感を重視した楽曲をこれでもかと連発し、ラストのMY COLORまで畳み掛けるように突き進み、そのまま終演を迎える。
彼女たちはSleeping Beautyまだ手をつけていない将来の接収目的物を手にしたのだ。

だがこの後、異例と言っても過言ではない展開が起こる。
3人は、これまでライブ終演時(アンコール後)にしか口にしてこなかった「それでは!Perfumeでした!」というあのお決まりのフレーズを叫び、そして消えて行ったのだ。

過去何度もPerfumeのライブを見てきた観客は直感しただろう。これは極めて重要な演出である。つまりこの時点で「Perfumeのライブ」は完全に幕を閉じたことを意味しているのだ。

アンコールは無い。

夢の中で見た夢、それを叶えるべく夢から覚め、45000人のParty Makerたちと共に最高の時間を共有し、そして結末へと辿り着いた。そう、物語はこれでHAPPY ENDを迎えたのだ。

しかしそのわずか数分後、天女のような衣装を纏った“Perfumeとそっくりな”女性達が突如としてステージに現れる。
なぜ“Perfumeとそっくりな”などという言い方をあえてするのか?
繰り返すがこの時点で「Perfumeのライブ」は終わっているからだ。
お決まりのあのフレーズを口にしたのだから。
したがって今ステージ上にいる3人は、文脈上「Perfumeではない」超越的な何かなのだ。

天女達がゆらゆらと歌う「Dream Land」は、アンコールではなくエピローグ。
私達はその歌声によって、Perfumeと共に再び夢の中へと戻って行く。
愛で出来たあの世界。これまで何度も経験してきたような、懐かしい感覚。
終わる事の無いループ。

そして、夢と現実すべてを司る超越者=天女達はその役目を終え、夢の中へと還って行った。


客電が付き、場内に規制退場のアナウンスが流れる。愛に包まれたドーム(=殻)の中で私達はまだ夢を見ている。そしてドームから一歩外へ出る瞬間に、自らの力でその殻を破ったあの3人の映像がリフレインし、自分たちと重なるのだ。
殻から出るという事=夢から覚めるという事。それは「まだ手をつけていない将来の接収目的物」を探す旅に出る事を意味している。
ライブという夢を見た私達は、自らの足でドームから出る事によってその旅に出るのだ。
自らの力でその殻を破ったあの3人のように。
エピローグで頭上から降ってきた無数のバルーンに書かれたメッセージは、そんな私たちへの激励に他ならない。

自分たちの夢を原動力に、文字通り「夢中で」走り続けてきたPerfumeは、静かにその季節を終え、今度はその経験を私たちに伝え、委ね、託す側に足を踏み入れていた。あの超越者=天女達は、そんなPerfumeの現在地を象徴する存在なのかもしれない。


きっと3人はこれからも、私達の痛み、悲しみ、喜び、ありとあらゆる感情全てを
受け入れ、響かせ、「愛」として私達に返すのだろう
そのループの中で、私達は何度でも夢をみよう
そしてその度に、また新しい旅へ出るのだ

いつか必ず訪れる本当の終わり
それをTRUE ENDにするために
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JPNスペシャル試論 より強く より遠くへ 

私はある作品に対してその時々の時代背景を過剰に重ね合わせ
社会的あるいは政治的メッセージに置き換えて理解するタイプの言説を好まない
しかしその前提の上で、Perfume 3rd TOUR『JPN』において披露されたパフォーマンス 通称「JPNスペシャル」は明らかに震災以降の世界を意識して構成された演目だったと捉えざるを得ない
そしてそこには、Perfumeというグループが、震災以降自分たちの在り方について深く思考した痕跡と、強い決心のもと導き出されたであろう答えが存在しているように思うのだ

それはどういうことか、順を追って見ていこう

サイドモニターに music by 中田ヤスタカ [capsule] の文字が浮かび上がり
この演目の為に書き下ろされたというスリリングなトラックが走り始める
同時に可変式のセンタースクリーンが巨大な三角形を形作り
映像作家 TAKCOM�(@takcomstudio)によるマッピング映像が
尋常ではない密度で展開される
onedotzeroをはじめ、世界数10カ国のアートフェスティバルで賞賛浴び
最近ではlivetune feat.初音ミク『Tell Your World』のMVを手がけたことでも知られる、気鋭のモーショングラフィックスデザイナーが紡ぐ映像世界
そこにグリーンの衣装に身を包んだ3人が映し出されるところから物語は始まる

スクリーンの中の3人がきわめてシリアスに、ひとつの設問を投げかける
「今 私たちに出来る事」

しかしそれはあまりにストレート過ぎる設問だ
2011年3月のあの日以来、飽きるほど耳にしてきた類いの言葉だ
多くの人はこう思うだろう「綺麗ごとは沢山だ」と
これはペシミズムではない
なぜなら、上から降ってくるタイプの綺麗な言葉が
実利的に何の意味も持たないという現実を
この1年足らずで我々は既に知ってしまったからだ
それなのに、いまさら何を言おうというのだ?

だが3人は予想外のものを差し出してきた
その設問に対する答えとして巨大スクリーンに映し出されたのは
大切な友であり、共闘者であるはずのメンバー同士が
暴力によってお互いを傷つけ合う、あまりにも悲しいシーンだった

どういうことか
つまり乱暴に言語化すれば
「今、私たちに出来る事は、仲間同士で傷つけ合う事です」
彼女達はそう宣言したのだ
これは、きわめて純度の高い皮肉だ

では、この皮肉が具体的に何へ向けられているのか
それに対する明確な答えは用意されていない
見る者それぞれの環境や立場によって想起するイメージは異なるだろう
安全厨/危険厨 原発推進/反対 瓦礫受け入れ賛成/反対 
例えは何でも良い、重要なのは具体性ではない
あの日を境にして我々の間に引かれてしまった無数の「線」
そのあちらとこちらで、本来手を携えるべき者同士が
互いの言葉を疑い、恐れ、傷つけ合い、足を引っ張り合う光景を
我々日本人はこの1年、嫌というほど見てきた

それでもスクリーンの中の3人は戦いを止めない
止めてくれない

工業用3Dカメラで撮影された3人の身体は
真鍋大度(@daitomanabe)によって書かれたプログラム上で
無数のパーティクルに還元され、弾けて飛ぶ
繰り返し、繰り返し
内側に向けられた牙は友を傷つけ、同時に自らを傷つけ続ける
そしてその帰結として3人は目を、耳を、口を
つまり人間にとってきわめて重要なコミュニケーションの回路を
自らの手で覆い隠してしまう
これが何を示唆しているのか、説明の必要は無いだろう

まるで【ヤマアラシのジレンマ】だ
寒空の下、体を寄せ合いたいのに
近づけば近づくほど、自らのトゲで相手を傷つけてしまうヤマアラシの葛藤
ポリゴン状の鋭利なパーツを無数にあしらった衣装を纏う3人が
互いに傷つけ合わない距離を探り続けるヤマアラシの姿に
偶然にもどこか重なる


シークエンスは後半へと進む
リフトアップしていくステージの上に、映像の中の3人が1人ずつ現れ、そして集う
もう一度同じ言葉が響く「今、私たちに出来る事」

一度目のそれは皮肉だった
今度はその答えが示される

仲間に拳を向け、傷つけ合っていた3人は居ない
スクリーンには切っ先を180度変え、背中を合わせ
外へと視線を向ける3人のショットが映し出される
これが答えだ

そしてそれは、3人のファイティングポーズが
巨大なシルエットとして映し出されるあのラストシーンによって
さらに強調される事となる

「今、私たちに出来る事」という設問、これは別の言い方をすれば
Perfumeが自分たちの役割をどう捉えているか?という問いと同義だ

立ち止まって傷が癒えるのを待つのではなく
ましてや恐怖に怯えて互いを傷つけ合うことでもなく

Perfumeが選んだ答えは
仲間と共に、持てる力を内ではなく外へ向けること
そして、さらに過酷な戦いをあえて選択し続けることだった
Perfumeは自分たちの役割をそう捉えていたのだ

これは震災以降、自身のAlbumに『JPN』というタイトルを付け
長年所属していたレーベルから離れ
世界へと舞台を広げていく事に決めたPerfumeの実践的行動パターンと
完璧に一致する
その意味でJPNスペシャルとは、自分たちが大きく舵を切った理由を
我々に伝えるために書かれた、私信のようなものと言えるのかも知れない

曲が終わり、今度は聞きなれたイントロが響き渡る
3人が選択した攻撃的姿勢は【祈り】を経て、大量のレーザーに姿を変える
その光は観客の元へと届き、ひとりひとりに信を問いはじめる

爆音とレーザーの洪水の中、突き上げられた数千数万の拳は
そんな3人の思いを肯定し、共闘を誓った人々の決心の証だ

強靭な意志によって外へと向けられた3つの凶暴な光は
世界中で乱反射を繰り返し
真っ暗になってしまった私たちの足元を
きっと鮮やか照らすだろう



舞 - was wrong -

拡張する身体とテクノロジーのダンス

実存はLEDに溶け
延ばした手はレーザーに形を変え
ステップはデジタルデバイスの同期を刻む

そして圧縮された声は、鍵盤からiTunesを経由して
世界中のステレオへと着陸し、恋を歌う

かつてマーシャル・マクルーハンは
「メディア」とは、人間の「身体の拡張」であると主張した
自動車は足の拡張であり、ラジオは耳の拡張であり
テレビジョンは目の拡張である。という具合に

それはひとことで言えば進化である

我々が持つ抑えようのない欲望が
テクノロジーと結託し、身体の枠から解き放たれ
その帰結としてどうしようもなく訪れる進化である

巨大化し
その正確な射程距離を模索し続けてきたPerfumeは今
テクノロジーとの結託を選び
あらゆる「メディア」を駆使して
自分たちを急速に拡張させはじめている

より多くの人の心を躍らせる為に
そして他愛も無い恋を歌う為に

その帰結として3人の身体は拡張し、テクノロジーとダンスする
だがしかしそれを駆動するのは、ずっと昔から変わらない素朴な欲望だ

マクルーハンが定義した意味での「メディア」
そしてそれとは別に存在するエンターテイメントの文脈における「芸術」
その2つの流れの結節点に3人は居る

きわめてクリアで
間違いなくオリジナルな「メディア芸術」として

3人の身体は
きっとそのように舞う

「Perfumeの掟」に込められたメッセージについて

東京ドームで披露されたパフォーマンス、
「Perfumeの掟」に込められたメッセージについて
僕個人の解釈を書きたいと思います。
以下、反論されたとき用の予防線などをいちいち張っていくのは
あまりにめんどくさいので
ここはひとつ、あえて振り切って断定的な言い回しで突っ切ろうと思います。
非常に偉そうな文体になりますが、
そうしないと回りくどくて、もっとウザい文章になってしまうので
どうかご了承下さい。

また、便宜上リキッドやカウントダウンで披露されたVer.のPerfumeの掟を
「Perfumeの掟1.0」
今回東京ドームで披露されたVer.を
「Perfumeの掟2.0」として区別したいと思います


以下本論です



冒頭、重低音と共にセンターステージから3体のマネキンがリフトアップしてくる
Perfumeの掟1.0やシークレットシークレットでも明らかなように
Perfume演出におけるマネキンとは、
記号化された自分であり、シミュラークルであり、過去の自分でもある。
大きな言い方をすれば「あなたの頭の中にあるPerfumeのような何か」の存在を
アイロニカルに表現したオブジェクトである。
1.0においてPerfumeはそのマネキンに、自分たちの過去の象徴として
インディーズ時代の衣装を着せ、それを丁重に「埋葬」する事で
自身を「更新」させてみせた

では2.0においても同じ「更新」が行われたのか?
違う。それは開始30秒で否定された。
今回マネキンが着ていたのは
3人がほんの5分前まで着ていた衣装だったのだ。

これには極めて具体的な含意がある
その意味とは「過去」の時間的定義が1.0と全く異なる、という点から導き出される。
1.0において、ブレイク以前とブレイク以降という分断線によって定義された「過去」が
2.0においては「5分前の自分」に当てはめられている
では過去の時間的定義の細分化が意味するものは何か?
それはすなわち、更新の「加速」だ

まずこの時点で一つの宣言がなされた

3人は間髪入れず次のシーンへ
背後の巨大スクリーンに映し出された携帯電話のような映像に、
自身の生年月日を入力する。
個人が持つ最も素朴なアイデンティティの象徴であるところの生年月日を
複製可能な数値に還元する行為。
それは記号としてのPerfumeと
実存を持った大本彩乃・樫野有香・西脇綾香という人物を
無関連化させるメタファーに他ならない

そもそも複製時代の芸術とは
あらゆる作品や、時に表現者そのものが記号化することを受け入れる前提で形作られている、
いわば記号化の美学だ
しかし3人は、そのデフォルト設定自体を仮想敵と見立て激しく挑発し、批評する。
そしてその仮想敵の射程には
彼女たちを記号消費の対象としているメディアやマーケットはもとより
それらを受容し、消費し続ける我々ファンも含まれている可能性すらある。

自らのアイデンティティを自らの手によって記号化した3人。
ではこれによって何が起こるのか?3人はどうなってしまうのか?
場内に響く3人の声が、メタレヴェルからその疑問に答える

『右手と右足が同時に動いています』

すなわち実存と記号の乖離による「像」のズレだ。
歯車が狂い始める。

また声が響く
『10人のかしゆか』
コピー&ペーストされた、実体を持たない映像としての「かしゆか」の中で
生身の「樫野有香」が踊っている
10年の活動の中で産み出され続けてきた記号化された自分(または自身のシミュラークル)
その中で今までもこれからも踊り続けることを宿命付けられた存在たる
Perfumeに対する自己批評が、執拗に繰り返される

『あ~ちゃんアップ』
レーザー銃を手にしたあ~ちゃんがセンターステージに浮上する。
同時にマネキンがそれぞれの島に現れる。
マネキンが着ている衣装は何だ?
またしても数分前まで自分たちが着ていた衣装だ。
夢のステージに上がるために用意された純白の衣装
それすらも僅か数分後の今、破壊し、更新させようというのだ
しかも数分前に自分たちが一礼までして足を踏み入れたこの神聖なるステージの中央から。

エンドステージ下手からのっちが現れる。
過去自分たちが発表した楽曲、その象徴的な振りを演じながら
過去から現在、そして未来へと歩を進める。

そしてPerfumeの掟2.0において、とりわけ重要なのは
ここからの演出だ。

以降は、なるべくややこしい議論を避け、時系列を細かく追っていく事に注力したい。
とにかくここからのくだりで重要なのはPerfumeの掟2.0において
「ステージ上での3人の距離が、そのまま3人の心の距離のメタファーとして機能している」
というひとつの仮定である。
この仮定によってPerfumeのもうひとつの宣言が、
そしてMIKIKO先生が3人に伝えたいメッセージが見えてくる。

話をステージに戻そう

のっちが「現在」を通り過ぎた瞬間に
上手の島と下手の島から同時にかしゆかとあ~ちゃんが現れる
そしてそれぞれがそれぞれのパフォーマンスを披露する。
「遠く離れた場所」で
それぞれ別々の方向を向き、一心不乱に踊る。

一連のパフォーマンスが終わる頃
のっちがセンターステージに移動している。
そこで今度はのっちのソロパフォーマンスが始まる

センターステージとは、言い換えれば左右の島のちょうど中間だ。
今まで「遠く離れた場所」でそれぞれ踊っていた2人、
その中間にもう一人のメンバーが立つことによって変化が起こる。

あ~ちゃんとかしゆかは、何かに気付いたかのようにセンターへ走りはじめる
こうしてのっちのダンスパート中、遂に3人が揃う

そしてパフォーマンス後半、
3人が「目の前の何か」を掴む動きをしたまさにその瞬間、
曲が止まってしまう。
まるでその「目の前の何か」が手から零れ落ちるかのように

遅すぎたのだ

自らを記号化し、実存を失い、3人の距離が離れ
バラバラに踊っていた3人に訪れる結末とは何か?
それは「故障」だ
武道館のコンピュータシティを彷彿とさせるノイズ
苦しそうな呼吸音
もはや完全に静止するかと思った次の瞬間
静寂の中に再び声が響く

3人が掴みかけた「目の前の何か」の答えがここで明かされる
それはとてもシンプルな言葉だった

『息を合わせて』

このパフォーマンスで最も重要なポイントはこの一言だ
全てはこれを言うための壮大な前フリと言っても過言ではない

加速していくPerfumeから誰一人振り落とされないために、
自分自身を決して見失わないために、
3人の心の距離を絶対に離さないために、
息を合わせて、心を一つに

図太いビートが再び鳴り始める
息を合わせた3人が完璧に踊り切り、5万人の大歓声が東京ドームに響き渡る
そして次の瞬間、3人は再びマネキンと化し奈落へと下がっていく

当然だ
加速を宿命付けられた3人には
その一瞬ですら既に過去とされるのだから

そしてリフトダウンした生身のマネキンは
わずか数秒後に再び浮上する

何のためか?

最早言うまでもない
数秒前の自分たちを更新するためにだ

何事も無かったかのように「VOICE」が鳴り響く。

プロフィール

dnts

Author:dnts
ネット育ちの映像作家

twitter : @dnts3

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